たびたび議論の題材になるのが、『数学は暗記か、理解か』という問題です。
これに対する私の考えを書いておきます。
数学は暗記科目か
先生、数学は暗記科目だっていう人がいるんですよ。でも僕はしっかり理解することが重要だと思っていて…
なるほど。ではいくつか質問しますね。
分数の割り算は暗記か理解か
分数の割り算はどう計算したらいいか、理解していますか?
そりゃ、分母と分子をひっくり返して掛け算しますよね。
それは暗記ですか?理解ですか?
う…。そう質問されると暗記って気がしますね…
そうですね。色々な実例で納得することはできますが、深く理解するのはかなり難しいことです。
でも計算ルールの内容自体は理解してるんですよね?結構複雑な分数計算でも問題なくできますよね。
でも計算ルールの内容自体は理解してるんですよね?結構複雑な分数計算でも問題なくできますよね。
はい…
しかも、いちいち記憶を呼び起こして計算するわけではない。そのルールは長年の経験から染みついているはずです。
まあそうですね。
理解とも言いにくいけど、暗記っていうのも変ですね…
理解とも言いにくいけど、暗記っていうのも変ですね…
ですよね。理解してないから暗記だって言われたら、突き詰めたら世の中のすべてが暗記になっちゃいますよ。
自転車の乗り方は暗記か理解か
じゃあ話を変えて、自転車に乗りますか?
もちろん乗ります。
自転車に乗れるのは、理解ですか?暗記ですか?
えっ?どうだろう、体が覚えているので…
体って覚えます?本当に記憶しているのは脳ですよね。
じゃあ暗記ですか?
じゃあ暗記ですか?
そんな屁理屈を…
でも理解か暗記かといわれると分からなくなってきました…
でも理解か暗記かといわれると分からなくなってきました…
地球1周の距離は暗記か理解か
地球が1周40000㎞なのは暗記ですか?
それは暗記ですよ!考えてわかるものじゃないですから。
でも、40kmではないのはわかりますよね。
40kmじゃ短すぎますよ!
…どうもただの暗記じゃなさそうですね。
…う…もう何がなんだか分からなくなってきました…
まとめ
これは理解なのか暗記なのかを特定していこうという話をしているのではありません。
理解だの暗記だのの境界など不確かであると言いたいのです。
「これは理解だ」「これは暗記だ」などというのは、人間が表現上の利便のために脳の働きをあいまいに分類しているにすぎません。
こんなことを議論するのは、「愛と恋の違いは何か?」を議論するのと同じことです。
休み時間や昼食時にお遊びとしてやるのは面白いですが、本気でこんなことに頭を悩ませるのは時間の無駄です。
いらないことは考えずに、できることからコツコツやればいいんです。
まあ、本気でそういうことを考える学問『哲学』っていうのもありますけどね。
行きます?哲学科。(笑)
行きます?哲学科。(笑)
すみません、行きません!